神経法学と NLP – 脳の判断は自分の判断ではないのか?

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前回に引き続いて、書籍その〈脳科学〉にご用心: 脳画像で心はわかるのかからちょっと興味深い議論をご紹介できればと思います。

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あなたの行動は、自分の判断でおこなったのか、それとも運命によって脳がそう判断するように仕向けられたのか?

聞いてくれ。僕は自分で何をしたのか分からないんだよ。って言われて納得していいのやら。。。

聞いてくれ。僕は自分で何をしたのか分からないんだよ。って言われて納得していいのやら。。。

あなたが今こうやってこの記事を読んでいるのは、どうしてでしょう。自分で面白いと思ったから?(そう感じて頂きありがとうございます。この先も損をさせたと思わせませんよ)そうではなく、脳の働きがそう思うように運命か何かの力で仕向けられている、と言われたらどう思うでしょう。これはあなたの判断はあなたの責任ではない、という答えに導かれてしまう話なのですが、いったいどういうことなのでしょう。

判断はどうくだされるのか

これはアメリカで実際にあった話で、当書籍でも取り上げられたものなのですが

とある裕福な家庭に育った未成年がその知人を計画的に殺人し、かつ自分では完全犯罪と思っていたら2日で拘束。その裁判において弁護士が「被告は特殊な生育環境にあったため、今回の殺人について倫理的な基準を持てずに脳がそう仕向けるように育成されてしまった。従って、自分による判断ではないので責任を追及できるものではない」と弁護したそうだ(手元に本がないため記憶している概略で書いています。)。この論点で一度は棄却されたものの、類似の裁判が起こったことで議論が再燃し、結果その過失性についてある意味認める判例が出来たらしい。

さて、これは、あなたが行った行為はあなたが意識せずに脳が勝手に判断して行ったので、あなたの行為はあなたの責任において行われているのではないから、何が起きても責任を取らなくともよい、と言おうとしているようにも聞こえますよね。でも、そんな不思議なこと、あるのでしょうか。

個人的にこの意見に賛成する気はないものの、NLPを使うものとして一言実例を出すなら

残念ながら、無意識による作為、は日常生活においてすら絶対ないとは言えないと考えています。それはなにか、といえば、実は「無意識」による作為(もしくは無作為)です。ご存知の通り、無意識というのは本人の意思に拘わらず作為不作為を引き起こすものです。

例えば、自転車に乗る時に一生懸命漕ぐことを意識して乗ることは乗り始めた子供を除いてはいないでしょう。そこには自転車のサドルに座ってペダルを意識することなく一定のリズムで漕ぐことが無意識で出来ている、という状態にあるのです。ある種の行為を反復的に行うことで私たちの行動は、そもそもその行為を知らない、という無意識的無能性から、知っているけど出来ないという意識的無能性に、その後やってみたことで出来るけどぎこちない意識的有能性、更に反復を繰り返して体で覚える無意識性有能性に段階を経て習得していくのです。とすれば、無意識のうちに行為をすることというのは存在しないわけではない、ということが分かります。

無意識は果たして無責任な行為なのか?泥酔状態での行為を例に考える

もしかすると、無意識をこの話に適用すべきではない、と考える方もいるとは思います。もちろん、ここでは無意識による行為が責任を負わない、という話をしたいわけではないので、類似のケースをもって短絡的でない話をしたいと思います。

日本において無意識状態であっても外部から見て明らかに判断能力が皆無な状態にあった(例えば顕在意識が機能していない泥酔している時)場合にはその責任を免責もしくは軽減されるケースもあります(日本の法律では「原因において自由な状態」というそうです)。この議論においても、例えば泥酔状態で心神喪失している状態での行為については犯罪不成立もしくは刑の軽減の対象になるが、もし車に乗ることが予め分かっていた場合にも関わらず泥酔して車を運転して事故を起こした場合には業務上過失致死傷や危険運転致死罪の適用対象になると話を分けています。ポイントは、その時点での行為とその状態、だけでなく、そこに至るまでの判断も併せて考える必要がある、というのは日本での考え方のようです。

では無意識状態や催眠術師の支配下にある人の行為はどう取り扱われるのかを考える

当然、これを書いている管理人はライフ・バランス・コンサルタントであって弁護士でも裁判官でもないので、専門的な判断に基づいて書いている訳ではないものの、例えば俗に言われるケネディ大統領暗殺の際に使われたとされる催眠術による引き金を引かせたとされることを例にとるならば、本人は催眠術師の支配下にあって本人の意図とかい離して本人の判断が機能しえない状態にあった、と想定することは可能です。そうなると、催眠術師の支配下にあって本人の自由意思が機能しなかったことが証明できると本来より許してもらえそうな状況にありそうですね。問題は、そのような状況下にあったのだ、とどうやって証明できるのか、なのですが。。。

では、無意識に本人の意図することと異なることを行っていた場合にはどうなるのでしょう。今の環境下では多分無意識がやったというのは故意ではないけど過失(うっかりやってしまった)という扱いになるのでしょう。それこそ、ブレーキとアクセルを間違えて踏み込んで車を急発進させた、というのは本人の意識と異なるところを踏んだこと、と言う意味では世にいう無意識として扱われるでしょうから。。。

まとまらないまとめ

では、前述の育成環境により倫理的判断力の欠如のなかで計画的完全犯罪をプランして実行したこの場合、そんな一連の行為は普通に考えれば育ちが悪かったのね、でもそれの責任を負うべく処罰を受けて学ぶ機会をえるべき、という判断の方が社会的にみても正しいように思えますよね。それを、一連のプランと実行をさせる脳にした社会がいけない、という論理付けをする弁護士にも問題があるようにも思ったりしますが。。。

とはいえ、この話を書くにあたって、催眠術による犯罪というのが世界的にも散見されるようになった、ということですし、まぁ、合意以上のこと、という密室の行為もきっと表に出ないだけであるでしょうし(神に誓って言いますが、管理人は催眠術だけに関わらず、お仕事は本人との事前の同意した内容のみ行いますのでご安心を。)まぁ、使い方ひとつ、ではあるのですが、みなさん、何事も適正に、ですね。

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